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岩手県

面積 15,279km2(全国2位)
人口 約130万人(全国32位)
人口密度みつど 85人(全国46位)

月別平均気温 / 降水量

月別平均気温 / 降水量
盛岡市 もりおかし


県花


キリ
(昭30.3.22指定)

県鳥


キジ
(昭39.5.10指定)

県木


ナンブアカマツ
(昭41.9.26指定)


都道府県豆知識ちしき

  • 位置と概要
  • 地形と自然
  • 気候
  • 産業
  • 観光
  • 県名の由来
  • 境界線の策定にまつわる話
  • 県庁所在地について
  • なんでもお国自慢

位置と概要がいよう

岩手県は,東北とうほく地方の北東部に位置する。西は秋田あきた県,北は青森あおもり県,南は宮城みやぎ県にせっし,東は太平洋たいへいように面している。面積は北海道ほっかいどうの次に大きく,香川かがわ県をのぞく四国の面積とほぼ同じである。

面積は広いが平地が少なく,またきびしい気象条件じょうけんもあって,人口密度は,全国で北海道についで2番目に低い。全国有数の農業県で,県の主な都市は北上盆地きたかみぼんちにあり,人口の大半がここに集中する。人口は30年前にくらべるとほぼ横ばいで,三陸沿岸さんりくえんがんや北上高地にある町村は,深刻しんこくな人口減少げんしょう高齢化こうれいかなやまされている。

地形と自然

岩手県の大半が山地や高地で,平地が少ない。秋田県境けんざかい奥羽山脈おううさんみゃくが,その東側には北上高地がともに南北に走り,その間を南に流れる北上川にそって北上盆地ぼんちがひらけている。県の北部には岩手山いわてさん八幡平はちまんたいなどの火山がそびえる。 太平洋側は全長600kmにおよぶ三陸海岸が続き,南側は典型的なリアス海岸である。複雑ふくざつにいりくんだ海岸線は,美しい景観と宮古みやこ釜石かまいしなどの天然の良港をつくりあげている。

気候

太平洋側の地域ちいきは,冬でも雪が少なく,比較的ひかくてきあたたかい好天にめぐまれる。中央部の北上盆地ぼんちでは,夏の気温が上がり冬の寒さがきびしい内陸せいの気候をしめす。 初夏には,「やませ」という冷たい北東風がふき,気温が上がらず,農作物に冷害をもたらすことがある。西部の奥羽山脈おううさんみゃくの一帯は,冬に積雪が多い。

産業

産業別人口の割合わりあいは,第一次産業12.0% 第二次産業24.2% 第三次産業62.3%。第一次産業で働く人の割合は,東北地方では青森県とならんで多い。

農業の中心は,北上盆地ぼんち稲作いなさくと北上高地の畜産ちくさんである。米づくりがさかんに行われている北上盆地は,冷害の影響えいきょうを受けやすく稲作にてきしているとはいえなかったが,品種改良や栽培さいばい方法の工夫くふうにより収穫量しゅうかくりょうえてきた。また,なだらかな高原の続く北上高地では牧草や飼育作物しいくさくもつが栽培され,広大な放牧地では,乳牛にゅうぎゅうや肉牛,ぶたやブロイラーが飼育されている。

岩手県では,農業だけでなく漁業もさかんである。三陸海岸おきは,暖流だんりゅうと寒流がぶつかる良い漁場で,宮古みやこ釜石かまいし大船渡おおふなとなどの漁港は,水あげ量が多いことで知られる。また,リアス海岸の入り江いりえは波静かで,ワカメ,コンブ,ノリ,カキなどの養殖ようしょくがさかんに行われている。

観光

岩手県は自然が豊かで,日本のふるさとといっても言いすぎではないほどの雄大ゆうだいで美しい自然が残されている。西部には南北に高くけわしい奥羽おうう山脈が走り,いたるところで温泉おんせんがわく。また十和田八幡平とわだはちまんたい国立公園もある。 一方,東側の太平洋岸には,「海のアルプス」とばれる断崖絶壁だんがいぜっぺきやリアス海岸の連なる陸中りくちゅう海岸国立公園がある。県内の山岳さんがく地域ちいきと海岸地域に,全くちがった特徴とくちょうを持つ2つの国立公園があることが,岩手県のみりょくである。東北自動車道や東北新幹線しんかんせんが開通したこともあり,おとずれる観光客も年々えてきている。

県名の由来

明治めいじ3(1870)年,廃藩置県はいはんちけんが行われる一年前に,盛岡藩もりおかはんは盛岡県と名前を変えた。さらに2年後の明治5(1872)年,県庁所在地けんちょうしょざいちである盛岡のあった「岩手郡」の郡名をとって,「岩手県」と改名された。廃藩置県を,政府せいふの方針より一年も早く実施じっしし県名を変えた理由は,明治政府にしたが姿勢しせいしめすためであったといわれている。 盛岡藩は,戊辰ぼしん戦争に参戦して敗れ,「朝敵ちょうてき」「逆賊ぎゃくぞく」の汚名おめいを受け,きびしい処分しょぶんを受けていたのである。

境界線きょうかいせん策定さくていにまつわる話

江戸えど時代,現在げんざいの岩手県の範囲はんいには,盛岡藩もりおかはんをはじめ,南には仙台せんだい藩,一関いちのせき藩,北には八戸はちのへ藩があった。現在の岩手県が誕生たんじょうするまでの経過けいかはとても複雑で,今の岩手県が成立したのは,廃藩置県はいはんちけんから5年が経過けいかした明治めいじ9(1876)年のことである。 その間に10回以上も行政ぎょうせい区画が変わった。最終的には,南部の郡は宮城県へ,北の胆沢いさわ郡・江刺えさし郡・磐井いわい郡を岩手県に編入へんにゅうし,さらに宮城県から気仙けせん郡を編入し,また青森県から二戸にのへ郡を編入して,現在の岩手県が成立した。

県庁所在地けんちょうしょざいちについて

盛岡の起こりは,江戸えど初期,南部なんぶ氏がこの地にしろきずいたことに始まり,南部なんぶ20万ごく(初めは10万石)の城下町じょうかまちとしてさかえた。 廃藩置県はいはんちけんにより岩手県と改名された時にも,県庁は盛岡におかれ,そのまま現在げんざいにいたっている。

なんでもお国自慢じまん

民話のふるさと

北上盆地ぼんちにある遠野とおのは,古くから宿場町しゅくばまちとして栄えたところである。明治めいじ時代の民俗学者みんぞくがくしゃ柳田国男やなぎたくにおは,遠野の人々の間に昔から語り伝えられていた山の神,家の神,天狗てんぐ河童かっぱなどをめぐる伝承でんしょう・伝説などを「遠野物語とおのものがたり」としてまとめた。「遠野物語」に登場する地名は,現在げんざいも数多く残されており,毎年多くの観光客が民話の舞台ぶたいおとずれる。

小岩井こいわい農場

岩手山南部のふもとにあり,面積約3000ヘクタールもの広さをほこる。明治24年から開墾かいこんされた広大な放牧地では,2000頭以上の乳牛にゅうぎゅうのほか,多くの羊やにわとりなどが飼育しいくされている。農場には,乳業にゅうぎょう工場や酪農資料館らくのうしりょうかんもあり,牛乳やバターができる様子を見学することができる。

なんでも日本一

  • 自然海岸率しぜんかいがんりつ日本一 (全海岸線の約80%)
  • ホップの生産量日本一
  • ワカメの生産量日本一
  • 透明度とうめいど日本一の龍泉洞りゅうせんどう水深98m,透明度41.5m 国の天然記念物
  • 豆腐とうふ購入こうにゅう数量日本一(盛岡市 平成へいせい23~25年平均へいきん 都道府県庁所在市別ランキング)