面積 | 3,798km2(全国39位) |
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人口 | 約721万人(全国5位) |
人口密度 | 1,899人(全国4位) |
埼玉県は,関東地方の中央部に位置する内陸県である。北は群馬県と栃木県,茨城県,東は千葉県,西は山梨県と長野県,南は東京都に接している。
平野が県全体の約3分の2をしめ,多くの家やビルが建てられている。特に県の南東部は東京につながる人口密集地域で,東京のベッドタウンとして知られる。人口は全国5位,人口密度は全国4位である。東京へ通勤・通学する若者が多く住んでいるため,県民の平均年齢は低い。
埼玉県西部には関東山地の一部である秩父山地があり,その山の間に秩父盆地が開けている。秩父山地を水源とする荒川が,県の中央部を南に流れ,北部の群馬県境には利根川が流れている。県の中央部には,関東ローム層と呼ばれる火山灰におおわれた台地や丘が広がっている。
埼玉県は太平洋側の気候で,夏から秋にかけて降水量が多く,気温もかなり上がってむし暑い。逆に冬の間は雨が少なく,乾燥した「からっ風」がふき,晴れの日が続く。西部の山間部は,冬に気温が下がり,暑さと寒さの差が大きい内陸性の気候になっている。
産業別人口の割合は,第一次産業1.7%, 第二次産業23.5%, 第三次産業67.5%。第三次産業で働く人の割合が最も多く,第一次産業である農業で働く人の割合は非常に少ない。
昭和30年当時,県の産業は農業が中心で,工業といえば春日部市や越谷市の桐タンスや加須市のこいのぼりなど,いわゆる地場産業が主であった。しかし,高度成長期の昭和33~35(1958~1960)年に入ると,工業化が急激に進んだ。その理由として,埼玉県が過密化した京浜工業地帯から近く,交通の便がよいこと,広くて平らな土地があること,水にめぐまれていることがあげられる 。埼玉県には,電気機器や自動車・金属などの組立工場が進出し,大宮市・深谷市・川越市・狭山市などには,大規模な工業団地がつくられた。現在,工業出荷額や,大都市向けの野菜の生産高は,全国の上位をしめている。
荒川上流の秩父地方には,谷などの美しい自然が残っている。国の天然記念物である長瀞では,川下りが有名である。また,荒川にそって走る秩父鉄道のSLに乗って風景を楽しむ観光客も多い。秩父神社などの伝統ある神社も多く,秩父三十四ヶ所観音めぐりをする人々の姿も見られる。
「埼玉」には,サキタマ,サイタマという二通りの読み方がある。サキタマという読み方は,奈良時代の正倉院文書では「前玉」,万葉集には「前玉」や「佐吉多万」と書かれ,使われている。サキタマとは,幸福をあたえてくれる神「幸魂」(サキタマ),あるいは水辺のそばの地形という意味を表しているといわれている。 のちの平安時代にできた「和名抄」という辞書では,郡名は「佐伊太末」,郷名は「佐以多万」と書かれ,「さいたま」と読ませている。このように,県名は「サキタマ」からしだいに「サイタマ」に変わったと考えられる。
明治4(1871)年の廃藩置県によって,県内には14もの県が誕生したが,やがて,荒川を境に埼玉県と入間県の2つに統合された。明治6(1873)年,入間県は,群馬県と合併されていったん熊谷県となったが,明治9(1876)年に再び埼玉県の一部となり,現在の県域が確定した。
埼玉県の行政機関が集中する浦和は,昔は東京湾のおくにある小さな集落であった。その名前は,湾が曲がりくねっているという意味の浦曲に由来する。県庁が置かれた明治4(1871)年当時,浦和は発展がおくれていた。 しかし,関東大震災をきっかけに東京都からの移住者が増え,しだいに町は発展した。平成13(2001)年,県庁所在地は,浦和市・大宮市・与野市が合併して誕生した「さいたま市」にかわった。
首都東京に近い埼玉県の南部や東部の地域には,他の都道府県からの若い労働者が多く移り住んでいる。この地域では大規模な住宅団地やマンションなどが建設され,都市化が急速に進んでいる。移り住んだ人々の多くは,東京へ通勤・通学するため,「埼玉都民」と呼ばれることがある。