中国地方には,帝釈峡馬渡岩陰遺跡など旧石器時代の遺跡,縄文から弥生時代も妻木晩田遺跡などの遺跡が瀬戸内海・日本海沿岸に多い。 古墳時代には,吉備地方や出雲地方で豪族が勢力をほこっており,荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡などの古墳が残っている。また,出雲市には,神話の主要な神である大国主命をまつっている出雲大社がある。
中国地方は古代より,中央の畿内と九州大宰府を結ぶ重要な交通路であり,美作,備前,備中,備後,安芸,周防,長門,因幡,伯耆,出雲,石見, 隠岐の12か国からなり,国府が置かれた。律令政治が乱れ,瀬戸内海に海賊が横行するようになると,その討伐にあたった平氏がこの地域に力を持ち,厳島神社は平氏一族も信仰するようになり文化的に栄えた。 しかしまもなく源氏によって壇ノ浦(山口県)で滅ぼされた。
戦国時代に安芸の毛利氏がこの地方をほぼ統一していたが,1600年の関ヶ原の戦では西軍について敗れ,徳川家康によって周防,長門の2国に領地を減らされた。
江戸時代は20以上の大小の藩によって,中国地方は統治された。幕末期,尊王攘夷運動の中心になった長州藩は攘夷に失敗したが,薩摩藩と同盟を結んで倒幕の中心となった。 明治新政府へ多くの指導者を送り出し,初代内閣総理大臣となった伊藤博文も山口県の出身である。