他の地方と同じように東北地方でも打製石器,縄文土器,弥生土器が発掘されている。青森県青森市の三内丸山遺跡からは,巨大な柱の穴が発掘され,縄文時代の大集落があったと考えられている。 古代から,都があった畿内から遠く離れていたことから,道の奥という意味の「みちのく」とよばれていた。奈良時代には先住していた蝦夷に対して,多賀城(宮城県),秋田城(秋田県)などが置かれた。 11世紀ごろから,藤原氏が平泉(岩手県)を中心に勢力をほこったが,源頼朝に滅ぼされた。1600年の関ヶ原の戦いの後は,東北地方は江戸幕府の支配下におかれた。
仙台市(宮城県),仙北市(秋田県),米沢市(山形県),会津若松市(福島県)などの城下町が発達した。陸奥(現在の青森県,岩手県,宮城県,福島県)と出羽(現在の秋田県,山形県)という国があったことから,奥羽や奥州とよばれていた。 明治維新に際し江戸幕府側につき奥羽越列藩同盟をつくり,薩摩藩・長州藩を中心とする官軍に対抗したが敗れ,1871年に秋田県・福島県,1876年に青森県・岩手県・宮城県・山形県の県境が確立した。